Logic and Metaphysics

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zoom RSS フリッチョフ・シュオンの思想(Wikipediaより)

<<   作成日時 : 2009/09/08 19:21   >>

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諸宗教の超越的一致


 伝統主義者あるいは永遠主義者の見解は、1920年フランスの哲学者ルネ・ゲノンにより、また1930年フリッチョフ・シュオン自身により、言明されはじめた。ハーヴァードの東洋学者アーナンダ・クマラスァミとスイスの美術史家ティトス・ブルクハルトもまた、この見方の代表的弁護者である。根本的には、この教理はヒンドゥー教のネオ・ヴェーダンティストのサナターナ・ダルマ――永遠宗教――のそれである。それはおそらく、古代ギリシャにおいて、とくにプラトンやネオプラトニスト、キリスト教においてはマイスター・エックハルト(西方)、グレゴリオ・パラマス(東方)によって定式化されたものである。すべての宗教は、文字通りの意味の他に、本質的で原始的で普遍的な、エソテリックな次元を持つ。この智的普遍性はシュオンの著作の大きな特徴であり、それは様々な霊的伝統のみならず、歴史、科学、芸術への魅惑的な洞察を与えている。
 シュオンの著作に支配的なテーマもしくは原理は、自らの文化を伝える目的で、セネガルの村民とともにスイスに来た黒人のイスラム導師との初期の出会いに予兆されていた。若いシュオンが彼と話した時、尊敬すべき老人は地面に放射状の線のある円を描き、説明した。「中心は神、すべての道は神に通じている」


形而上学


 シュオンにとって、純粋形而上学の真髄は、以下のヴェーダの主張に集約されうる(アドヴィタ・ヴェーダンタと同様の見解は、イブン・アラビー、マイスター・エックハルト、プロティヌスにも見出せるが)。Brahma satyam jagan mithya jivo brahmaiva na'parah.(ブラフマンは現実、世界は幻想、自己はブラフマンと異なるものではない)
 シュオンによって説明された形而上学は、非二元的な絶対者(超存在)と現実の諸段階という教理に基礎を置く。絶対的なものと相対的なものとの区別は、シュオンにとって、アートマン/マーヤーのペアに照応する。マーヤーは宇宙的幻想であるだけでなく、高い視点からは、マーヤーは無限者であり、神聖なる相対者、さもなくば、究極原理の女性的側面(mahashakti)である。
 別の言い方をすれば、絶対者であることで、超存在は至高善(Agathon)であり、その本性により、マーヤーの放射を通してそれ自身を伝達しようとするものである。第一存在(Ishvara)から現実の最低段階である物質(Prakriti)への顕現全体が、確かに至高原理(Brahman)の放射である。世界の創造因として考えられた人格神は、相対的な絶対者に過ぎず、マーヤーの頂点における、超存在の最初の分別である。それは至高の自己(Atman)であり、内的本性においては、光をもたらす意識の光線である智恵(buddhi)、マーヤーの中のアートマンの軸上屈折である。


永遠宗教


 シュオンは、主にフランス語で書かれた二十冊以上の著作において、形而上学的な諸原理と、人間の生の霊的・道徳的諸側面について説明している。シュオンの永遠宗教はそれ独自の教義と実践を持つ新宗教と呼ばれることはできない。シュオンにとって、永遠宗教は、根本宗教であり、魂の宗教、心の宗教である。すべての正統な伝統においてエソテリストは、多かれ少なかれそれに直接触れるが、永遠宗教を独立に実践するということは問題にはなりえない。宗教の形態は大なり小なり透明なものだが、宗教の多様性は否定されない。その存在理由は形而上学的に説明されるからだ。一方で、形式上宗教はupaya(天界的戦略術)であり、永遠宗教の中心的本質に重ねあわされている。他方で、宗教の諸形態は聖なる言葉それ自体の多くの元型に対応している。宗教の諸形態は神によって意志され、それぞれの宗教は、絶対者それ自身の視野によって特徴づけられた、特殊かつ同質の宇宙に照応している。
 したがって、永遠主義者の見解自体、本質的に形而上学的、秘教的、原始的かつ伝統的なものとして特徴づけられうる。シュオンにとって、啓示された宗教の外側に霊的道は存在しない。啓示された宗教は、霊的求道者に、形而上学の教理と霊的方法、美と聖性の霊的環境を提供する。


霊的道


シュオンによれば、霊的道は、本質的に、現実と非現実(Atma/Maya)との区別に基礎を置き、真の現実と徳の実践に精神集中する。人間は真理を知らねばならない。真理を知ることで、彼らは善を意志し、そこに集中する。これらの二つの面は、形而上学的教理と霊的手段に対応している。真理を知り、善を意志することで、人間は結局、徳を通して彼らの魂の中、また、自然の中にもある美を愛さねばならない。この点でシュオンは本物の霊的求道者が現象の形而上学的透明性と彼が呼ぶものに気づくことの重要性を説いてきた。
 シュオンは教理的また実践的レベルでの、霊的生活の様々な側面について書いている。彼は、霊的実践の諸形式について、それらが様々な伝統世界において顕れている様を説明している。とりわけ、ヒンドゥー教によって、カーリ・ユガの終末において、霊性の実現の最善にして最高の手段と考えられている、聖名の朗誦(ズィクル、ジャパヨーガ、心の祈り)について書いている。ヒンドゥー教の聖者ラーマクリシュナによって記されてきたように、朗誦の道の秘密は、神と神の名は一つであるということだ。


本質的エソテリズム


 ゲノンは二十世紀初頭、すべての宗教には二つの面があるということを指摘した。エソテリズムとエクソテリズム。シュオンは、エソテリズムそれ自体、二つの面があると説く。一つはエクソテリズムの延長であり、もう一つはエクソテリズムとは独立である。というのも、形式がある仕方で本質であるのが真ならば、本質は逆に、一つの形式によっては完全には表現されないからだ。水滴は水であるが、水は水滴ではない。この二番目の側面が本質的エソテリズムと呼ばれる。というのも、それは制限されていない、もしくは、単独の形式や神学学派によっては、つまるところ、特定の宗教形態自体によっては、完全には表現されないから。
 この本質的エソテリズムと永遠宗教は、セム唯一神教においては、聖処女マリアによって代表される。ペルシャのスーフィー、ルズベハン・バクリによれば、マリアは、すべての預言者と予言の母であり、根源的聖者性の母体である。


美は真理の輝き


 シュオンは芸術家でもある、より正確には、画家であり詩人である。シュオンの芸術の主題は、一方で、プレーン・インディアンの世界であり、他方で、宇宙的・人間的女性性の神秘である。晩年の3年間、彼はほぼ3500の教訓的な詩を、母語であるドイツ語で書いた。

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